ヘルマンヘッセ『車輪の下』あらすじ解説と考察 ヘッセが伝えたいこと
ドイツの文豪ヘルマン・ヘッセの自伝的側面がある小説『車輪の下』。
頭の良い主人公ハンスの運命を描いた名作で、日本ではよく読まれています。
今回は『車輪の下』の結末までをネタバレ要約、タイトルの意味や伝えたいことを考察します。是非ご覧ください。
『車輪の下』概要
・『車輪の下』とは
『車輪の下』はドイツの文豪ヘルマン・ヘッセにより1906年に刊行された作品です。
小さな町シュヴァルツヴァルトに住む天才的な頭脳を持つ主人公ハンス・ギーベンラートが、周囲からの詰め込み教育を受けて勉強や規則、友情に苦しんだ末の結末までが描かれています。
昔の作品ですがその教育の在り方は現代にも通ずるところがあるように思えてなりません。また内容が共感を呼びやすいところも含めて人気の理由の一つです。
・著者のヘルマン・ヘッセとは
ヘルマン・ヘッセはドイツの小説家であり、詩人です。ノーベル文学賞を受賞した作家としても有名です。
日本ではヘッセの短編『少年の日の思い出』を読んだことがあるという人も多いのではないでしょうか。
この『車輪の下』が彼の自伝的小説と思われる理由についても後述します。
『車輪の下』登場人物紹介
ここから『車輪の下』の登場人物をご紹介していきます。
ハンス・ギーベンラート:本作の主人公。大人しく繊細な少年。母がいない。生まれついて聡明で、秀才であったため周りから将来を期待される。その期待に応えて神学校に入学するが…。
ヨーゼフ・ギーベンラート:厳格なハンスの父親。男手一つでハンスを育てる。作中では「ギーベンラート氏」と書かれることも多い。
ヘルマン・ハイルナー:神学校で出会ったハンスの友人。詩を作るのが趣味で、自由奔放な性格。
フライクおじさん:ハンスの生まれ育った村の靴屋の親方。幼いハンスへの詰め込み教育をよく思っておらず、ハンスに勉強を教える牧師の考えに度々反対している。
エンマ:フライクおじさんの姪。神学校を退学になったハンスと2度キスをするがすぐ村を去る。
『車輪の下』あらすじ
・あらすじ(前半)
南ドイツ・シュヴァルツヴァルトという町に商人の息子、ハンス・ギーベンラートという少年がいた。
彼は生まれつき聡明な頭脳を持っていたため周りから将来を期待されている。
そのためハンスもその期待に応えたいと猛勉強し、優秀な子だけが受けられる神学校の受験に見事合格したのだった。
故郷から離れ寄宿制の神学校へ通うことになったハンスは同じ寄宿部屋で、詩人のヘルマン・ハイルナーと仲良くなる。
彼はハンスとは正反対の性格であり、勉強には不真面目な生徒だった。
そんなハイルナーの生き方に次第に影響されていくハンスは友情に溺れ、勉強には身が入らなくなってしまう。
そのうち神学校の厳しい制度に嫌気がさしたハイルナーが脱走事件を起こし、退校処分となってしまった。
ハイルナーの退校処分をきっかけにハンスは憂鬱が限界を迎え、神経衰弱と診断される。
こうしてハンスも療養のため神学校を去り故郷へ戻ることになるのだった。
・あらすじ(後半)
※後半はストーリーの大幅なネタバレが含まれます
神学校から故郷の町へ帰ってきたハンス。周囲からの白い目で精神を病みながらも日々を過ごし、近所の靴屋のフライクおじさんの姪であるエンマに恋をする。
しかしエンマにとってのハンスはただの遊び相手であり、2度キスをしたあとエンマは別れを言わずに町を去ってしまうという苦い思い出になる。
その後ハンスは機械工として働き、ものづくりの楽しさを知った。
そんなある日機械工仲間たちと飲みに行った際にハンスは酔い潰れ家に帰る途中、川に落ちて死んでしまったのだった。
『車輪の下』考察
・ハンスが死んだ理由
ハンスが死んだ理由は、物語の中では語られませんでした。
酔っていたゆえの事故なのか、それとも酔っていたからこそ勢いに任せて自ら川に飛び込んだのか。
これは『車輪の下』を考察するうえで議論をかもすところでもあるようです。
本文ではハンスが思い悩む部分も多く自死を考えて過ごしていた期間もあり漠然と死を意識している描写も多かったです。
私の考察としては、エンマの登場や機械工としてものづくりの楽しさを知ったことで生きたいと思ったのは真実だと思います。
しかし実はハンスの中にはずっと死を意識してきた部分がまだ消えておらず、お酒はその死の意識を再び呼び起こしてしまったのかもしれないと考えました。
そしてそのまま酒に酔った勢いで川に落ちたのではないでしょうか。
・タイトル『車輪の下』の意味
『車輪の下』の車輪とは、「社会」「学校」あるいは「社会の仕組み」、「学校の制度」などの意味合いがあります。
ここから考えると『車輪の下』とは社会や学校の仕組み、制度に押し潰され、下敷きになるということを指しているのではないかという解釈が一般的です。
またハンスの場合は当初の周りからの過度な期待が物語後半での周りからの白い目に変わってしまったところも精神的に追い詰められた要因の一つだと思われます。
そういった周りの態度も車輪の一部なのではないかとも考えられます。
・ヘルマン・ヘッセの自伝的な側面
ドイツの小説家であるヘッセは詩人になる夢を持ちながら、周囲の期待から神父になるため神学校へ入学します。
しかし神学校での勉強、厳しい制度に耐えられず脱走、中退し、その後自殺未遂などで精神を不安定にしながらも作家デビューを果たしました。
ハンスのような神学校での体験がヘッセにあることが、『車輪の下』がヘッセの自伝的小説といわれるゆえんです。
ですがヘッセは詩人になりたいという夢を持ち、母や周囲の支えで立ち直ると詩人・小説家として名をはせました。
母もおらず周囲の支えも得られず車輪の下敷きになってしまったハンスは、こうなるかもしれなかったヘッセ自身なのではないでしょうか。
『車輪の下』名言
『車輪の下』には多くの名言がありますので、その一部をご紹介します。
・ヘルマン・ハイルナー「きみはどんな勉強でも好きで、すすんでやってるのじゃない。ただ先生やおやじがこわいからだ。一番や二番になったって、なんになるのだい?僕は二十番だけれど、それだからといって、君たち勉強家よりばかじゃない」
➡ハイルナーがハンスの勤勉ぶりを見て言ったセリフです。
神学校における制度への皮肉、揶揄しているセリフともとれます。
・神学校の校長先生「疲れきってしまわないようにすることだね。そうでないと、車輪の下じきになるからね。」
➡神学校の校長先生が、成績が落ちているハンスを鼓舞するために言ったセリフです。
ここで題名にもある「車輪の下(じき)」が出てきます。
・フライクおじさん「あんたとわしもたぶんあの子のためにいろいろ手ぬかりをしてきたんじゃ。そうは思いませんかな?」
➡ハンスが亡くなった後、ハンスを心配していた靴屋のフライクおじさんがハンスの父、ヨーゼフ・ギーベンラートに言うセリフです。
周囲の誰もがハンスの支えにならず手抜かりをしてきたのだと、フライクおじさんだけが気付いているのでした。
小説・漫画紹介
『車輪の下』小説を読んでみたい方はこちらがおすすめです。
車輪の下 (新潮文庫) | ヘルマン ヘッセ, Hesse,Hermann, 健二, 高橋 |本 | 通販 | Amazon
定番の新潮文庫で、とても読みやすいです。
小説を読むのが難しいという方には漫画版をお勧めします。
販売終了しているため手に入れるには中古品になりますが、内容把握の面でとてもわかりやすいです。
ぜひ手に取りやすいものから読んでみて下さい。
まとめ
『車輪の下』の感想を見ると、ハンスに共感する人がたくさんいるのを感じます。
若者の方はこの作品を通して周囲からの期待や社会に押しつぶされていないか。そして親の立場の方は無意識にハンスの周辺の人々のようになっていないか。
ヘッセはやりきれなさだけでなく、これらをもう一度考えるきっかけを作ってくれているのではないかと思うのです。
是非『車輪の下』を読んでみて下さい。
そして一緒に車輪の下じきにならないよう、人生を生きましょう。