レトロ!鎌倉ゆかりの文学者・文豪と巡る観光スポットへ!
文豪・文学者にゆかりのある地として有名な鎌倉。鎌倉文士・川端康成や、夏目漱石といった文学者が小説のモデルにした町です。
今回はそんな文学レトロな鎌倉を訪れたい方のために、おすすめの文学スポットを集めてみました。
私も実際に訪れてみましたので、よければ参考にしてみてください!
鎌倉と文学
鎌倉は明治期(1889年ごろ)に東京から横須賀線が開通してから以前よりもさらに栄え始めました。
鎌倉に文学者たちが集まるようになったのもこの時期からで、心や体を休める場所としても、別荘を建てる土地としても人気のスポットだったようです。
当時鎌倉を訪れた文学者の中には鎌倉を舞台に小説を書く文豪も多くいました。
古き良き鎌倉のどこに惹かれ、どんな小説を書いたのかも合わせて文学スポットをお楽しみください。
見る・感じるスポット
まずご紹介するのは見て感じるスポットです。
鎌倉と文学といえば外せない文学館、お寺に大仏など、文学者たちが過ごした数々の場所を肌で感じてみて下さい。
・鎌倉文学館
※2023年4月〜2027年3月まで大規模修繕のため休館中
鎌倉文学館は、鎌倉にゆかりある文学者・文豪たちの直筆原稿・手紙・愛用品を保管、展示している文学館です。
レトロな洋館風の見た目とバラの庭園が美しく、どこを切り取ってもおしゃれな雰囲気が出るようですよ。
この鎌倉文学館は三島由紀夫が小説『春の雪』に描写したことでも有名です。
『春の雪』を書くにあたって三島由紀夫は直接鎌倉文学館に取材に訪れたのですとか。
また文学館内部も外観に劣らず洒落た邸宅然としているそうです。
鎌倉ゆかりの文学者たちの足音を感じながら是非訪れてほしい場所です。
・円覚寺
円覚寺を訪れた文学者も多くいます。円覚寺は無学祖元が開山した禅宗寺院であり、”禅”を学ぼうと円覚寺を訪れる文学者が多かったようです。
・総本山 円覚寺塔頭「帰源院」
※帰源院は一般人の出入り不可です。入り口は見ることができるので、雰囲気を楽しみましょう。
塔頭とは高僧(知徳・行いが優れた僧)がおられる塔です。この帰源院を訪れた文学者はこちら!
夏目漱石:1894年(’明治27年)、神経を病んだ夏目漱石が帰源院の門をたたきました。その後夏目漱石は12月末から1月7日あたりまでの約2週間帰源院に止宿し、参禅します。
その時の経験を『門』という小説にて書いています。
また帰源院には夏目漱石の「佛性は白き桔梗にこそあらめ」の句碑が建てられています。
島崎藤村:恋愛の悩みのため帰源院で参禅した藤村もここに止宿したようです。
この時のことを『春』という小説で書いています。
・円覚寺塔頭「佛日庵」
同じく円覚寺の佛日庵を訪れた文学者がいます。
川端康成:佛日庵の本堂にかつてあったといわれる「不顧庵」という茶室で止宿し、もう一つの茶室「烟足軒」の描写がある小説『千羽鶴』を書きあげたようです。
他に有島武郎も円覚寺「松嶺院」に止宿し小説『或る女』を書いています。
・高徳院
何といっても有名なのが国宝の阿弥陀如来坐像。高さが11.3mもある大きな大仏です。
この高徳院にゆかりある文学者は歌人の与謝野晶子です。高徳院には与謝野晶子の歌碑がおかれており、「かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」と書かれています。
同じく歌人の星野立子の句碑「大佛の冬日は山に移りけり」もおかれています。
・長谷寺
鎌倉でも最も古い寺の一つとして親しまれている長谷寺。
四季の花など自然も見どころのひとつなっているこのお寺にも文学者が訪れています。
中でも川端康成は戦後昭和21年に長谷に移り住んでおり、長谷寺近く(正確には甘縄神明宮の近く)に邸宅がありました。
川端康成はこの長谷にて『山の音』という小説を書いています。
長谷寺には俳人・高浜虚子の「永き日のわれらが為の観世音」という句碑や、小説家・久米正雄の胸像がおかれるなど、文人に多くかかわっているお寺です。
この他、建長寺の塔頭「宝珠院」に住んでいた葛西善蔵や東慶寺にある高見順の詩碑なども有名どころです。
食べる・飲むスポット
次に鎌倉で文人たちが食べたり飲んだりしたものを味わえる場所をご紹介します!
寺院巡りで少し疲れたら休憩して、文学者たちがかつて愛した味をじっくり楽しみましょう。
・イワタコーヒー
イワタコーヒーは鎌倉で最も古いといわれているコーヒーショップで、レトロで落ち着いた雰囲気の喫茶店です。
1948年オープンで、川端康成やあのジョン・レノンも訪れたカフェなんですよ。
人気メニューの自家製プリンやじっくり焼き上げた分厚いパンケーキはどれもとてもおいしそうです。
イワタコーヒーは小町に入ってすぐの場所にあり、茶色が特徴的なお店となっています。是非立ち寄り文人の休憩タイムを過ごしてみるのはいかがでしょうか。
・柴崎商店
明治22年創業の柴崎商店は、今も配達を続ける牛乳屋さんです。
ここは、夏になると芥川龍之介が牛乳を飲んだお店として知られており、レトロな見た目も当時の雰囲気を強く感じます。
過ごしにくい夏ですが冷たい牛乳を飲むと元気になれそうですね。
・二楽壮
1934年に開店した中華料理店「二楽壮(にらくそう)」。大佛次郎などをはじめ、多くの文学者が訪れたことで有名です。
特に人気メニューの「花シュウマイ」はこうした多くの著名人のために特別に用意されたのが最初だそうです。
今でもその味は変わらず健在のため、一度行って堪能してみるのも良いかもしれません。
実際に観光したコース
ここからは私が鎌倉を実際に歩いた時のコースをご紹介していきたいと思います。上記に書いたスポットも全てではありませんが少し回ってみました。
少しでも現地鎌倉の雰囲気を感じて参考になれば幸いです。
・まずは円覚寺へ
まずは北鎌倉駅で降りて円覚寺を目指します。北鎌倉で降りてしまえば円覚寺はすぐそこ!
入り口近くにはこのような看板もあり、目印にもなりますし文学者とのゆかりを感じることもできます。
この入り口を抜けて受付を済ませたら、右手側の赤いコーンを目指しましょう。坂に沿って登っていくと、円覚寺塔頭「帰源院」の入り口が見えてきます。
一般人に立ち入りできるのはここまでですが、帰源院入り口にこのようなものもありました。
句碑は山門の中に入らないと見れないそうなので、機会があったら是非拝みたいですね。
次に少し戻るため坂を下り、国宝の鐘や門を鑑賞できます。そのまま右の脇道あたりをしばらく歩いて階段を登っていきましょう。
左手に佛日庵が静かに佇んでいます。
こちらで参拝を行います。佛日庵は参拝のみもよいですし、参拝とお抹茶をいただくこともできます。今回はせっかくなのでお抹茶もいただきました。
そしてこちらが川端康成が『千羽鶴』に描いた茶室「烟足軒」になります。
日本の古くからのわびさびを感じられる茶室です。
時間が足りず個人で行ったのはここまでになりますが、他にも観光できる場所がたくさんあります!広い境内ですので円覚寺を本格的に楽しみたいという方は、円覚寺だけで1時間ほど時間を取ることをおすすめします。
円覚寺から下っていくと建長寺や鶴岡八幡宮に行くことができますが、今回は電車に戻り鎌倉駅に直行しました。
・老舗の喫茶店イワタコーヒーへ
休憩も兼ねてイワタコーヒーへ入ります。
イワタコーヒーは鎌倉駅を降りて小町に入ったすぐ右手に見えます!見逃さないように気を付けましょう。
お店おすすめの自家製プリンとパンケーキをいただきました。プリンはなめらかで固めの感触、パンケーキは表面がカリッとしていて中がふわふわです。
量が多めので誰かとシェアしながら食べるのがいいかもしれません。
鎌倉文士がここで休憩をとっていたことを考えながら楽しんでみてください。
・長谷寺へ
次に江ノ島電鉄に乗って長谷駅へ着きました。長谷駅から10分ほど歩いたら長谷寺です。
季節の花が素晴らしい長谷寺。蓮を見ることができました。
真ん中の階段に沿って登っていくと街を一望できます。
川端康成が聞いた山の音をじっくり感じてみてほしいです。
・高徳院へ
そのまままた歩いて10分で高徳院につきます。
ここには有名な鎌倉大仏が置かれています。
今回私は撮れませんでしたが与謝野晶子の句碑は大仏の裏側にあるそうです。忘れずにご確認ください。
・鎌倉文学館を確認
今は閉館中の鎌倉文学館周辺を少し歩きました。周りはかなり住宅街といった感じです。鎌倉文学館の現在はこのようになっています。
鎌倉の文学巡りといえば鎌倉文学館!というところがありますから、再度開館した際には是非訪れたい場所ですね!
感想とまとめ
鎌倉文学ゆかりの地をご紹介、また自分で訪れてみました。いかがだったでしょうか。
鎌倉文学館によれば鎌倉にゆかりある文学者は300人以上いるといわれているらしく、鎌倉がどこを回っても文学を感じられる古都であることがよくわかります。
是非あなたの好きな日本文学を感じるために行ってみて下さい。
そして文学者や鎌倉文士を身近に感じることができれば幸いです。
『ジキル博士とハイド氏』あらすじネタバレ考察・徹底解説!
イギリスの小説家、スティーブンソンの名作『ジキル博士とハイド氏』。
二重人格の代名詞的小説としても有名な作品ですが、読んだことがある人は少ないのではないでしょうか。
今回はそんな本作のあらすじを簡単に要約し、ネタバレ考察していきます。
是非最後までご覧ください!
『ジキル博士とハイド氏』概要
・『ジキル博士とハイド氏』とは
『ジキル博士とハイド氏』はイギリスの小説家であるロバート・ルイス・スティーブンソンにより1886年に発表された怪奇小説です。
英名では『The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde』で、直訳で”ジキル博士とハイド氏の奇妙な物語”となります。
本作は今日でも「ジキルとハイド」として親しまれ、二重人格をテーマにした斬新な作品として有名です。
その舞台は19世紀のロンドン。
弁護士のアタスンが旧友である高名なジキル博士の元に出入りする醜い小男・ハイドの正体を探っていくうち、衝撃の真実が明らかになる…といったストーリーです。
怪奇小説なのでじわじわと恐怖が迫るホラーテイストを感じるところもありますが、「ハイドとは何者なのか」という謎を追うミステリー小説としても人気です。
・著者、スティーヴンソンとは
作者のロバート・ルイス・スティーブンソンについても見ておきましょう。
1850年、イギリスのスコットランド、エディンバラに生まれたスティーヴンソン。
17歳の時エディンバラ大学に入学し、土木工学や法学を学んだ後、弁護士の資格を取得します。
その後は弁護士として働きながら、元々好きだった執筆活動を続けていきますが、スティーヴンソンは若いころから病を患っており、療養のため各地を転々としていたそうです。
そんなスティーブンソンの代表作には1883年発表の冒険小説『宝島』があります。
次に発表されたのが『ジキル博士とハイド氏』ですが、テイストの違いから同じ作者の小説と知っている人は少ないようです。
『ジキル博士とハイド氏』の登場人物紹介
『ジキル博士とハイド氏』の登場人物を見ていきます。
ヘンリー・ジキル:医学博士・民法学博士・法学博士・王立科学協会会員などの肩書を合わせ持つ高名で有名な博士。勤勉で、人当たりの良い穏やかな性格。立派な風采、大柄な男性。
エドワード・ハイド:見る人を不快な気分にさせるような雰囲気の、醜悪かつ小柄な男。ある時からジキルの元に出入りするようになる。何故かジキルの遺産を相続することになっている。
アターソン:物語の語り手。弁護士で、ジキル博士、ラニョン博士とは旧友。顔がいかつく感情を表に出さない性格だが、優秀。どことなく人情味があり、周りから好かれ信頼されている。
エンフィールド:アターソンの遠い親戚(従弟)で紳士。毎週日曜日にアターソンと散歩するのを日課として楽しみにしている。ある日謎の男、エドワード・ハイドの蛮行を目撃してしまい、その話をアターソンにする。
ラニョン:高名な博士で、医師。アターソンとは昔からの友人であり、仲がいい。ジキル博士とも友人だったが、ジキル博士の考えや行動に不信を感じ始め、距離を置いている。
プール:二十年間ジキル博士に奉公してきた、ジキル博士の召使。
『ジキル博士とハイド氏』のあらすじ
・あらすじ(前半)
弁護士のアターソンはいとこのエンフィールドと共にロンドンの街を散歩していた際、エンフィールドから奇妙な話を聞く。
冬の午前3時ごろに醜悪な男と幼い少女がぶつかりそうになり、男が少女を踏みつけにしたという話だ。
抗議する住民たちに男は慰謝料を払うと小切手を持ってきたのだが、その署名は名高いヘンリー・ジキル博士だった。
男の名はエドワード・ハイドといい、アターソンがジキルから預かっていた遺言書にはジキルの死後の遺産はハイドに相続することになっていた。
アターソンはジキルがハイドに遺産をめぐって脅されているのではないかと考えた。
一年後、アターソンの顧客のサー・ダンヴァス・カルーという老人が殺されるという殺人事件が起こる。犯人はハイドだと断定されたが、それからハイドは行方不明となってしまう。
アターソンがジキルを訪ねると、ジキルは憔悴しきって「ハイドとは縁を切った」と言う。しかしハイドとジキルの筆跡が一致しているとわかり、疑惑が深まる。
・あらすじ(後半)
※後半は内容の大幅なネタバレが含まれます
一方アターソンとジキルの旧友・ラニョン博士はジキルと縁を切った後、程なくして死んでしまった。その時ラニョンはアターソンにジキルが死ぬか失踪するまで開けてはならないという封書を残した。
それからしばらくするとジキルは完全に周りとの交流を絶ってしまう。
ある日異変に気付いたジキルの召使プールと共に、アターソンはジキルの部屋を無理やりこじ開けた。
そこにはハイドの自殺死体があった。
一連の事件の真相は、ラニョンが残した封書の中の手記とそばに置いてあったジキルがアターソンに宛てた手紙で明かされる。
ラニョンの手記には、ラニョンの前でハイドがジキルに変身する一部始終を見たという事実が書かれていた。
そしてジキルから残された手紙には、ジキルが昔から善良な部分と抑えられない醜悪な快楽癖を持ちその二面性に苦しみを抱えていたこと、そのため自分の悪の部分を切り離す薬剤を開発し、善と悪の人格を分けることに成功したこと。
しかしやがて薬剤ではコントロールできなくなり人格がハイドに浸食されていることが書かれていた。
最期を悟ったジキルはハイドに代わってしまう前にこの手記を残し、自殺を図ったのだった。
『ジキル博士とハイド氏』考察
・ジキル博士がハイドを生んだ理由は?
ジキル博士は元々善良で勤勉な自分と、欲望を意のままに開放したい快楽癖との葛藤を抱え苦しんでいることは作中にも書かれています。
ジキル博士はそうした”善”と”悪”の部分を切り離せば、善の自分が喜んで善行を、悪の自分で醜い欲望を開放できると考えました。
そうして薬剤を開発し、ジキル自身はこれまでと変わらず善い姿を。変身した悪い人格のエドワード・ハイドで自分の快楽を満たすことに成功するのです。
しかし多くの考察にあるように、ジキル博士は善性だけを持つ人間ではありません。
欲望を意のままに開放したいという欲求を持っているのもまたジキル博士なのです。
つまりジキル博士が開発した薬剤で出来上がったのは善悪の二面性を合わせ持つジキルと、完全な悪であるエドワード・ハイドだったということです。完全に善良なジキルは存在しません。
物語後半ではハイドになるのが楽しくなっていたり、善行を行う自分に愉悦を感じるところなどが見られます。
欲望に走った結果ハイドを生み出し、元の理性ある自分に戻ることができずハイドに浸食されてしまったのかもしれません。
・『ジキル博士とハイド氏』は二重人格の小説ではない?
前置きしたように『ジキル博士とハイド氏』の興味深い点は二重人格を題材にしているという点であり、二重人格の代名詞ともなっています。
ですが現代でいう「解離性同一性障害」のような二重人格とは少し意味が違ってきます。
この小説はあくまで人間の”二面性”の部分を扱っています。
二面性というのはジキル博士だけでなく、人間ならば少なからず誰でも持っている性格の部分をさしますから、今日の二重人格と違います。
ちなみに表面上だけ善いように見える人のことを「ジキルとハイドのような人」などと表現されることもあるようです。
・モデルとなった話がある?
『ジキル博士とハイド氏』には複数のモデルとなった人物が存在するそうです。
その中の1人がエディンバラの家具職人で、エディンバラ市議会の評議員も務めたウィリアム・ブロディです。
彼は昼は真面目な紳士としてふるまい、夜は借金を返したり生活をやりくりするために強盗犯として約6年間過ごしたそうです。
最終的に捕まり自らが手掛けた絞首台により人生の幕を閉じました。
『ジキル博士とハイド氏』自体がこの時代にしては突飛な発想だと感じましたが、この事件などから着想を得ていたと考えれば納得できるところがありますね。
小説・映画・ミュージカル情報など
『ジキル博士とハイド氏』は当時大ヒットしてから様々なメディア展開を見せています。
まず原作を楽しみたいという方におすすめの小説をご紹介します。
ジキルとハイド (新潮文庫) | ロバート・L. スティーヴンソン, Stevenson,Robert Louis, 俊樹, 田口 |本 | 通販 | Amazon
こちらは定番の新潮文庫のものです。
ジキル博士とハイド氏 (創元推理文庫) | ロバート・ルイス スティーヴンスン, Stevenson,Robert Louis, 健次, 夏来 |本 | 通販 | Amazon
こちらも読みやすいと評判の一冊となっています!
つづいては映画の紹介です。
Amazon | IVC BEST SELECTION ジキル博士とハイド氏 [DVD]
こちらが映画作品となります。1931年に同名で映画化されたものをリメイクした映画となっているようです。
他にも『ジキル博士とハイド氏』は様々な映画化がされており、見比べてみるのも楽しいかもしれませんね。
最後に、もう終わってしまいましたが最近上演されていたミュージカルの公式サイトです。
もし興味があれば調べてみてください。
このようにいろんな方面から触れることができる作品ですので、よければ手に取ってみて下さい。
『ジキル博士とハイド氏』感想とまとめ
『ジキル博士とハイド氏』は何度も読んだ作品であり、そのたびに「善悪とは」という点について考えさせられます。
考察でも触れましたが善悪というのは誰でも持っているものです。
ジキル博士のようにいい人そうに見えて実は悪いことがしたいという欲望を持っている人も少なくないかもしれません。
人間は常にそんな感情や欲望と、理性との葛藤を抱えながら生きていますがそのバランスを保つのはとても難しいことのように思います。
そしてその葛藤を抱えてこそ人間味を感じるとも思うのです。
もし自分の中に生まれた善悪に悩んだ時、『ジキル博士とハイド氏』を読んで考えてみると、見えてくるものがあるかもしれません。
ヘルマンヘッセ『車輪の下』あらすじ解説と考察 ヘッセが伝えたいこと
ドイツの文豪ヘルマン・ヘッセの自伝的側面がある小説『車輪の下』。
頭の良い主人公ハンスの運命を描いた名作で、日本ではよく読まれています。
今回は『車輪の下』の結末までをネタバレ要約、タイトルの意味や伝えたいことを考察します。是非ご覧ください。
『車輪の下』概要
・『車輪の下』とは
『車輪の下』はドイツの文豪ヘルマン・ヘッセにより1906年に刊行された作品です。
小さな町シュヴァルツヴァルトに住む天才的な頭脳を持つ主人公ハンス・ギーベンラートが、周囲からの詰め込み教育を受けて勉強や規則、友情に苦しんだ末の結末までが描かれています。
昔の作品ですがその教育の在り方は現代にも通ずるところがあるように思えてなりません。また内容が共感を呼びやすいところも含めて人気の理由の一つです。
・著者のヘルマン・ヘッセとは
ヘルマン・ヘッセはドイツの小説家であり、詩人です。ノーベル文学賞を受賞した作家としても有名です。
日本ではヘッセの短編『少年の日の思い出』を読んだことがあるという人も多いのではないでしょうか。
この『車輪の下』が彼の自伝的小説と思われる理由についても後述します。
『車輪の下』登場人物紹介
ここから『車輪の下』の登場人物をご紹介していきます。
ハンス・ギーベンラート:本作の主人公。大人しく繊細な少年。母がいない。生まれついて聡明で、秀才であったため周りから将来を期待される。その期待に応えて神学校に入学するが…。
ヨーゼフ・ギーベンラート:厳格なハンスの父親。男手一つでハンスを育てる。作中では「ギーベンラート氏」と書かれることも多い。
ヘルマン・ハイルナー:神学校で出会ったハンスの友人。詩を作るのが趣味で、自由奔放な性格。
フライクおじさん:ハンスの生まれ育った村の靴屋の親方。幼いハンスへの詰め込み教育をよく思っておらず、ハンスに勉強を教える牧師の考えに度々反対している。
エンマ:フライクおじさんの姪。神学校を退学になったハンスと2度キスをするがすぐ村を去る。
『車輪の下』あらすじ
・あらすじ(前半)
南ドイツ・シュヴァルツヴァルトという町に商人の息子、ハンス・ギーベンラートという少年がいた。
彼は生まれつき聡明な頭脳を持っていたため周りから将来を期待されている。
そのためハンスもその期待に応えたいと猛勉強し、優秀な子だけが受けられる神学校の受験に見事合格したのだった。
故郷から離れ寄宿制の神学校へ通うことになったハンスは同じ寄宿部屋で、詩人のヘルマン・ハイルナーと仲良くなる。
彼はハンスとは正反対の性格であり、勉強には不真面目な生徒だった。
そんなハイルナーの生き方に次第に影響されていくハンスは友情に溺れ、勉強には身が入らなくなってしまう。
そのうち神学校の厳しい制度に嫌気がさしたハイルナーが脱走事件を起こし、退校処分となってしまった。
ハイルナーの退校処分をきっかけにハンスは憂鬱が限界を迎え、神経衰弱と診断される。
こうしてハンスも療養のため神学校を去り故郷へ戻ることになるのだった。
・あらすじ(後半)
※後半はストーリーの大幅なネタバレが含まれます
神学校から故郷の町へ帰ってきたハンス。周囲からの白い目で精神を病みながらも日々を過ごし、近所の靴屋のフライクおじさんの姪であるエンマに恋をする。
しかしエンマにとってのハンスはただの遊び相手であり、2度キスをしたあとエンマは別れを言わずに町を去ってしまうという苦い思い出になる。
その後ハンスは機械工として働き、ものづくりの楽しさを知った。
そんなある日機械工仲間たちと飲みに行った際にハンスは酔い潰れ家に帰る途中、川に落ちて死んでしまったのだった。
『車輪の下』考察
・ハンスが死んだ理由
ハンスが死んだ理由は、物語の中では語られませんでした。
酔っていたゆえの事故なのか、それとも酔っていたからこそ勢いに任せて自ら川に飛び込んだのか。
これは『車輪の下』を考察するうえで議論をかもすところでもあるようです。
本文ではハンスが思い悩む部分も多く自死を考えて過ごしていた期間もあり漠然と死を意識している描写も多かったです。
私の考察としては、エンマの登場や機械工としてものづくりの楽しさを知ったことで生きたいと思ったのは真実だと思います。
しかし実はハンスの中にはずっと死を意識してきた部分がまだ消えておらず、お酒はその死の意識を再び呼び起こしてしまったのかもしれないと考えました。
そしてそのまま酒に酔った勢いで川に落ちたのではないでしょうか。
・タイトル『車輪の下』の意味
『車輪の下』の車輪とは、「社会」「学校」あるいは「社会の仕組み」、「学校の制度」などの意味合いがあります。
ここから考えると『車輪の下』とは社会や学校の仕組み、制度に押し潰され、下敷きになるということを指しているのではないかという解釈が一般的です。
またハンスの場合は当初の周りからの過度な期待が物語後半での周りからの白い目に変わってしまったところも精神的に追い詰められた要因の一つだと思われます。
そういった周りの態度も車輪の一部なのではないかとも考えられます。
・ヘルマン・ヘッセの自伝的な側面
ドイツの小説家であるヘッセは詩人になる夢を持ちながら、周囲の期待から神父になるため神学校へ入学します。
しかし神学校での勉強、厳しい制度に耐えられず脱走、中退し、その後自殺未遂などで精神を不安定にしながらも作家デビューを果たしました。
ハンスのような神学校での体験がヘッセにあることが、『車輪の下』がヘッセの自伝的小説といわれるゆえんです。
ですがヘッセは詩人になりたいという夢を持ち、母や周囲の支えで立ち直ると詩人・小説家として名をはせました。
母もおらず周囲の支えも得られず車輪の下敷きになってしまったハンスは、こうなるかもしれなかったヘッセ自身なのではないでしょうか。
『車輪の下』名言
『車輪の下』には多くの名言がありますので、その一部をご紹介します。
・ヘルマン・ハイルナー「きみはどんな勉強でも好きで、すすんでやってるのじゃない。ただ先生やおやじがこわいからだ。一番や二番になったって、なんになるのだい?僕は二十番だけれど、それだからといって、君たち勉強家よりばかじゃない」
➡ハイルナーがハンスの勤勉ぶりを見て言ったセリフです。
神学校における制度への皮肉、揶揄しているセリフともとれます。
・神学校の校長先生「疲れきってしまわないようにすることだね。そうでないと、車輪の下じきになるからね。」
➡神学校の校長先生が、成績が落ちているハンスを鼓舞するために言ったセリフです。
ここで題名にもある「車輪の下(じき)」が出てきます。
・フライクおじさん「あんたとわしもたぶんあの子のためにいろいろ手ぬかりをしてきたんじゃ。そうは思いませんかな?」
➡ハンスが亡くなった後、ハンスを心配していた靴屋のフライクおじさんがハンスの父、ヨーゼフ・ギーベンラートに言うセリフです。
周囲の誰もがハンスの支えにならず手抜かりをしてきたのだと、フライクおじさんだけが気付いているのでした。
小説・漫画紹介
『車輪の下』小説を読んでみたい方はこちらがおすすめです。
車輪の下 (新潮文庫) | ヘルマン ヘッセ, Hesse,Hermann, 健二, 高橋 |本 | 通販 | Amazon
定番の新潮文庫で、とても読みやすいです。
小説を読むのが難しいという方には漫画版をお勧めします。
販売終了しているため手に入れるには中古品になりますが、内容把握の面でとてもわかりやすいです。
ぜひ手に取りやすいものから読んでみて下さい。
まとめ
『車輪の下』の感想を見ると、ハンスに共感する人がたくさんいるのを感じます。
若者の方はこの作品を通して周囲からの期待や社会に押しつぶされていないか。そして親の立場の方は無意識にハンスの周辺の人々のようになっていないか。
ヘッセはやりきれなさだけでなく、これらをもう一度考えるきっかけを作ってくれているのではないかと思うのです。
是非『車輪の下』を読んでみて下さい。
そして一緒に車輪の下じきにならないよう、人生を生きましょう。
書き出しが有名『蟹工船』のあらすじは?作者は?徹底解説
『蟹工船(読み方:かにこうせん)』は作者・小林多喜二によるプロレタリア文学の代表作です。
当時は発禁処分となりましたが、今『蟹工船』に描かれた労働環境が「ブラック企業」を思わせ注目を集めています。
今回は『蟹工船』のあらすじや考察をわかりやすく解説します。
『蟹工船』概要
・『蟹工船』とは
作者である小林多喜二が1929年に発表した作品です。
作品のタイトルにもなっている蟹工船というのは、カニを捕ってそのまま缶詰に加工する、漁と工場をまとめて担う船のことです。
本作はその船での過酷な労働環境におかれた労働者達の様子から、彼らが現状を抜け出すために立ち上がり、ストライキを起こすまでを描いています。
・作者の小林多喜二とは
小林多喜二は1920年代~1930年代に活動したプロレタリア文学者です。
当時日本は軍国主義が台頭しており、軍国主義に逆らうような行為は許されませんでした。
そんな中多喜二は共産主義に傾倒した作品を書き続けたため、特高警察(国に逆らう人・団体などを取り締まる警察)に逮捕されてしまいます。
最期は特高による壮絶な拷問で亡くなりました。
『蟹工船』は多喜二が文字通り魂を削って出した作品の一つなのです。
『蟹工船』の登場人物紹介
それでは『蟹工船』の登場人物をご紹介します。
蟹工船の乗組員たち:働き口がない東北の貧困者たち。生きるには蟹工船に乗って労働するしかない。
浅川:蟹工船で労働者を取り締まる監督の男。蟹工船の労働者を人間と思わず、歯向かう者には拷問を与える。
『蟹工船』は主人公が存在しません。
主に以上の蟹工船の乗組員である労働者たちと、浅川という資本家を主体に話が進みます。
『蟹工船』のあらすじ
・あらすじ(前半)
漁船と工場の役割を担う蟹工船ではいつも劣悪な労働環境が敷かれていた。
漁船であり工場でもあるこの船は工場法や航海法といった法律が適用せず、どっちつかずの存在だったためである。
蟹工船の労働監督である浅川は利益だけを追求し、暴力により蟹工船の乗組員たちを虐待して労働させていた。
休みなく、風呂にも入れず、病気で倒れそうになっても働かせられる…そしてこの労働が辛くて逃げた仲間の一人が浅川により監禁され死んでしまう…などの、まさしく地獄のような状態に蟹工船の乗組員たちは日々憤りを募らせていく。
ある海が大荒れの日、無理矢理漁に出された労働者たちの乗る小型船がロシア人に救出される。救出してくれたロシア人は労働者たちに「プロレタリアート(労働者階級)こそが至高の存在」であると教えてくれた。
ここで労働者たちはこれまで考えていなかった自分たちの「人権」を意識し始めるのだった。
・あらすじ(後半)
※後半はストーリーの大幅なネタバレが含まれます
この小型船に乗った労働者たちは蟹工船へ帰ってくると、ほかの労働者たちにロシア人に教えてもらったことを共有した。
その考えはだんだんと広がり、人権を守るため一致団結してストライキを決行することになる。彼らはストライキを起こし、とうとう浅川を追い詰めた。だが会社が助けを求めた国の海軍によって鎮圧され、ストライキの中心人物が捕まってしまう。
しかし彼らはそこで諦めることはなく、もう一度ストライキを起こす決意を固めるのだった。
プロレタリア文学とは?
プロレタリア文学とは労働者階級にスポットを当てて書かれた文学のことをさします。
当時(1920年代〜1930年代あたり)の日本では資本家と労働者の貧富の差が大きく、資本家が労働者を搾取するような構図は珍しくありませんでした。
その様子を描き、労働者の実態を世間に知らしめることになったプロレタリア文学はたちまち大衆からの支持を得るようになっていきます。
一世を風靡したプロレタリア文学でしたが、国や資本家はこのような作品をよく思いませんでした。
こういった背景に加え、プロレタリア文学やプロレタリア文学者が共産党と強く結びついていることで、これらは厳しく取り締まられることになってしまいました。
最終的にプロレタリア文学は弾圧の一途をたどることになります。
最後の一文の意味とは?
・最後の一文に込められた思い
『蟹工船』の最後は「そして彼等は立ち上がった。__もう一度!」という一文で締められています。
これはあらすじにも書いた通り、一度のストライキは失敗したが労働者たちがまだストライキを諦めていない、もう一度やってやる!という強い意志の表れとなっています。
絶望から始まった『蟹工船』の物語は、希望を残してその幕を閉じるのです。
ちなみに『蟹工船』の付記では、こうして起こされた二度目のストライキは成功したと書かれています。
労働者が団結して立ち向かう勇気、諦めない心が実を結んだのでしょう。
『蟹工船』の名言
ここで『蟹工船』の名言をご紹介します。
・「おい、地獄さ行(え)ぐんだで!」
→言わずと知れた、『蟹工船』の有名な書き出しです。
『蟹工船』の内容を知らなくてもこの書き出しだけは聞いたことがあるという方も多いのではないでしょうか。
これから行く職場である蟹工船を地獄と表現し、これから蟹工船の中でしなければいけない過酷な労働を示唆しているのがわかります。
・「俺達には、俺達しか、味方が無えんだな。始めて分った。」
→一度目のストライキが失敗に終わった後の労働者(漁夫)のセリフです。
ストライキの際、助けに来てくれたと思った日本海軍が実は浅川が呼んだ応援であり、ストライキの中心人物を捕えて行ってしまった…というシーンで出た言葉です。
彼らはこの出来事から軍隊や国すらも労働者達の味方をしてくれないのだ、というひどい現実を思い知らされることになるのです。
引用:小林多喜二,『蟹工船』,新潮社;改版,1953年 より
小説、映画や漫画情報
『蟹工船』を読むならおすすめはこちらの書籍です。
蟹工船・党生活者 (新潮文庫) | 多喜二, 小林 |本 | 通販 | Amazon
『蟹工船』は意外と短い小説です。こちらの文庫本では同じく小林多喜二が書いた『党生活者』とともに扱っています。
『党生活者』は多喜二が晩年特高から身を隠し、地下生活をしていた時の体験をもとに書かれた小説です。
よろしければこちらも確認してみて下さい。
やっぱり昔の文は難しい!読みにくい!という方には漫画版をおすすめします。
蟹工船 (まんがで読破) | 小林 多喜二, バラエティアートワークス |本 | 通販 | Amazon
綺麗かつ、短い時間で読みやすいと評判です。内容もしっかりまとめられているようですよ!
さらに『蟹工船』は2009年に映画にもなっています。松田龍平さんが主演を務め、他にも有名な俳優陣が出演しています。
1953年にも映画化はされていますが、こちらの映画は当時のものよりも映像が見やすく声も聞き取りやすいので、内容の把握にはこちらがおすすめです。
是非ご自分が一番手に取りやすいものから触れてみて下さい。
まとめ
ここまで『蟹工船』のご紹介をしてきました。
『蟹工船』は短い小説にもかかわらず、とてもメッセージ性の強い作品です。
グロい、怖いという印象があるかもしれませんが、最後に労働者たちが立ち上がる姿を見るとここまで読んできてよかったと思える名作です。
またこの作品を期に、作者の小林多喜二という存在を知ってもらえたら嬉しいです。
解説で気になった方は是非一度読んでみてください。
ドストエフスキーの名作『罪と罰』あらすじは?名言・伝えたいこと解説
すごいと言われるドストエフスキーによる名作『罪と罰』のあらすじや名言、伝えたいこと・感想も含め簡単に解説しました。
「天才や選ばれた人には殺人を犯す権利があるか?」というテーマは、私達も考える必要があります。
解説を読んで気になった方は是非読んでみて下さい。
『罪と罰』概要
・『罪と罰』とは
『罪と罰』はロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーによって1866年に発表された作品です。
物語はサンクトペテルブルクを舞台に、主人公ラスコーリニコフが起こした殺人事件を中心に進んでいきます。
この作品は彼のキリスト教を主軸とした思想や犯罪、社会問題への考え方が色濃く描かれています。当時のロシアを作品から感じることもできます。
また登場人物の心理描写は逸脱で、ラスコーリニコフを取り巻く人間ドラマも見どころの一つとなっていますよ。
・著者のフョードル・ドストエフスキーとは
フョードル・ドストエフスキーは本作『罪と罰』を含んだ『悪霊』、『白痴』、『未成年』、『カラマーゾフの兄弟』の5大長編で知られています。
『罪と罰』はその中でも一番初めに書かれました。
ドストエフスキーは社会主義サークルに所属していましたが、そのサークルが検挙され死刑判決を受けます。しかし死刑執行の直前に恩赦により減刑され、窮地を逃れました。
その際聖書に触れたことから、釈放後は様々な苦難に見舞われながらもキリスト教をテーマとして創作活動を続けています。
『罪と罰』もまた、キリスト教の影響を受けた作品の一つなのです。
『罪と罰』の登場人物紹介
『罪と罰』は登場人物が多いですが、主な人物はこちらになります。
ラスコーリニコフ:本作の主人公。頭脳明晰な美青年だが、貧困のため大学を中退した。選ばれた人間は犯罪をしても許されるという思想を持っている。
ソーネチカ(ソーニャ):貧しい家族を助けるため体を売る心優しい娼婦の少女。作中の重要人物。
アリョーナ:強欲で名高い高利貸し(金貸し)の老婆。妹のリザヴェータと共にラスコーリニコフに殺される。
ポルフィーリィ:予審判事(事件を受け、法の下予審の手続きをする裁判官)で、アリョーナ・リザヴェータ殺害事件を追う。ラスコーリニコフを疑っている。
『罪と罰』のあらすじ
あらすじ(前半)
大学生のラスコーリニコフは貧しいために大学の学費も住んでいる場所の家賃も滞納していた。
そんな彼は金貸しの老婆アリョーナを頼りに、価値のある私物と引き換えに金を貸してもらいに行く。
しかしアリョーナははした金しかくれず、憤ったラスコーリニコフは自身の「選ばれた人間は社会をよくするためならば道を踏み外してもよい」という思想の元犯罪計画を企てた。
決行の夜、ラスコーリニコフは計画通りにアリョーナを殺すことに成功するが、そこに偶然居合わせたアリョーナの妹リザヴェータをも口封じに殺してしまう。
この事件をきっかけに意図しない殺人までも犯してしまったラスコーリニコフは罪悪感で精神を病んでいく。
あらすじ(後半)
※後半はストーリーの大幅なネタバレが含まれます
一方この殺人事件の予審判事ポルフィーリィはラスコーリニコフを怪しんで調査していた。
ポルフィーリィは過去にラスコーリニコフが執筆した論文を読んでラスコーリニコフが殺人事件の犯人であると結論付ける。
その後何度もラスコーリニコフと対峙するも、決定的な証拠がないため逮捕できずにいた。
ラスコーリニコフは逮捕を免れるが、ますます罪の意識に苛まれる。
そんな時に出会った娼婦のソーネチカ(ソーニャ)は家族のためなら苦しい生活も構わないという、自己犠牲をいとわない少女だった。
そんな彼女の思想、そしてその生き方に惹かれ心を動かされたラスコーリニコフは、とうとう自首を決めた。
彼はシベリア送りという重い罪を課されることとなる。そんなラスコーリニコフを追いかけ、ソーニャもシベリアへ移住し出所を待ち続けるのだった。
彼女の深い愛情にラスコーリニコフの心は救われ、更生への道を歩みだす。
『罪と罰』の感想一覧
『罪と罰』を読んだ方々の感想を集めてみました。
・若い頃に読んでおきたかった本の一つである。
・長く難しい面もあったが面白かった。
・名前を覚えるのが大変だが、登場人物が魅力的
・最後に希望があり、救われてよかった。
などの感想が見られました。
『罪と罰』が伝えたかった事
・ラスコーリニコフの成長
『罪と罰』の本筋はラスコーリニコフが犯した殺人の罪、それによって受ける彼の罰のお話であることがわかります。
様々な問題提起はあれど、この物語はラスコーリニコフの成長物語であると考えられます。
犯した罪によってラスコーリニコフは犯罪者としての苦悩や葛藤に病んでしまいました。しかし彼は家族に、そしてソーニャの愛に救われ最後には更生しています。
『罪と罰』の話を通して罪を自覚し愛を知ったラスコーリニコフは最終的に人間として成長したということではないでしょうか。
・『罪と罰』が伝えたかったこと
このまず最初に提示したテーマ「選ばれた人間は犯罪・人を殺す権利があるのか?」に対し、どのような人間であれ犯罪をする権利も人を殺す権利もないということを伝えています。
またラスコーリニコフの成長、ソーニャによるキリスト教の愛や救いをよく小説の中に登場させていることから、「自らの深い罪の意識を自覚した者は無償の愛によって救われる」ということも考えられます。
作者のドストエフスキーが最も伝えたい箇所もここではないでしょうか。
『罪と罰』の名言
『罪と罰』の有名なセリフを集めました。
・「<<非凡>>な人間はある障害を…それも自分の思想の実行がそれを要求する場合だけ、ふみこえる権利がある……」 (ラスコーリニコフ)
→作中でラスコーリニコフが自身の書いた論文の中の思想を語るシーンでの発言です。
非凡な人間とは選ばれた人、天才のことで、障害とは法律や道徳などのことで、
「天才たちは自分の思想が実行されるために法律や道徳などの障害を踏み越えてもいい(=犯罪を許される)」
という意味になるでしょう。
ラスコーリニコフはこの思想のもと老婆を殺害したのでした。
・「お立ちなさい!いますぐ外へ行って、十字路に立ち、ひざまずいて、あなたが汚した大地に接吻しなさい、それから世界中の人々に対して、四方におじぎをして、大声で<<わたしが殺しました!>>というのです」(ソーネチカ(ソーニャ))
→犯罪を告白したラスコーリニコフに向かってソーニャがした発言です。
慈悲深い彼女がしっかり叱っているところから、ソーニャの優しさと厳しさが垣間見えるシーンといえるでしょう。
『罪と罰』の中ではよくピックアップされる、屈指の名言かもしれません。
引用:工藤精一郎訳,『罪と罰』,新潮社版,1987年
読みやすい翻訳は?漫画版も!
・読みやすい翻訳
『罪と罰』は様々な翻訳がありますが、その中でも一番メジャーなのは新潮社の文庫本のようです。
新潮社版の文庫本だと上下巻で読むことが出来ますよ。
・漫画版
やっぱり文章が難しい・長い!と感じる方には漫画版がおすすめです。
舞台を当時のロシアのサンクトペテルブルクから現代日本に置き換えた設定となっています。
より読みやすく、わかりやすいです。
他にも、『罪と罰』解説本があったり、ロシアでは大河ドラマ化、日本でのミュージカル化などもあるようです。
まとめ
ここまで『罪と罰』の内容を詳しく解説してきました。
この作品は深いテーマを取り上げており、犯罪者である主人公の心理を細かく描き切っています。
そのため難解な印象を与えてしまいがちですが、『罪と罰』の提示するテーマはすべて現代社会の私たちも考えていかなければならないものだとも思うのです。
『罪と罰』を読み貴方も犯罪について、それに伴う様々な問題について考え直してみるのはいかがでしょうか。